太田母斑と私。

太田母斑と私 太田母斑

生まれつきの痣

私の顔の頬骨あたりには、生まれつき青っぽい痣があります。

それが太田母斑という皮膚病変ということ、また、 Qスイッチルビーレーザー治療ができることを知ったのはつい数年前のことです。

痣ができやすい体質らしいということや、
顔だけではなく背中、お尻、足に異所性蒙古斑があることもあって
この痣たちとは一生付き合っていかなければならないのだな…、
と勝手に思い込んでいました

年齢と共に濃くなる

幼少時は特に気にしておらず、写真など見てもさほど目立っていなかったように思えます。気になり始めたのは思春期に入ってから。
プリクラが流行っていたこともあり痣に対してコンプレックスを抱くようになりました。

コンシーラーが手放せない

中学生あたりからコンシーラーの存在を知り、使用するようになりました。
高校生になると周りも化粧をするので、ファンデーション+コンシーラーで隠すのも不自然でなくなりとてもやりやすくなりました。
当時は肌がきれいな方だったので、痣を隠すため全顔が厚化粧気味になるのがやや腑に落ちないところではありましたが。
私だって「ファンデーションは使ってません♪(ドヤァ)」とか言いたかった…。

何気ない一言にも傷つく

すっぴんになった時「それシミ!?ヒドいなー」と言われたり、化粧してても隠しきれずうっすら青みが出たときは「殴られたんか?」と言われることも…
「生まれつきの痣で、前からやでー」と流していましたが、傍からみれば年齢にそぐわないシミ。指摘されるたびに落ち込みつつ、これは仕方のないことなんだと思っていました

化粧で隠せるけど大変

20代に入ったあたりから太田母斑の色が茶色っぽく濃くなってきて、見た目は遅発性太田母斑(ADM)のような感じ。
もともと薄かった太田母斑に遅発性太田母斑が乗っかったんでしょうか?
なんだか昔より「シミ」っぽく変化しているような気がしました
さらに厄介なのは、隠すのがシミより難しいこと。
範囲も広いし、目の周りで崩れやすいし、色もただの茶色じゃない。
とにかく隠す術を模索しながらアラサーまでやってきました。
効果的だったコンシーラー、ファンデーションも紹介記事を作成中です!

この痣は「太田母斑」だった!

そうして奮闘しているうちに、
美容外科でシミ取りがあるのなら、痣も取れるのでは…?と思いつき、
検索してみてやっと、自分の痣が太田母斑であることにたどり着いたわけです。

太田母斑とは、顔面、特に眼球やひたいにあらわれることの多い青あざの一種です。太田母斑は生後半年頃に現れることが多く、思春期以降に青あざが現れることもあります 。日本人を含むアジア人に多いと報告されています。

https://medicalnote.jp/diseases/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E6%AF%8D%E6%96%91

「太田母斑」で画像検索すると、同じ思いをしている人がいた
もっと広範囲で治療をしている方もたくさんいる
治療という選択肢があることで、なんだか心が楽になりました。

人によっては、眼球(白目部分)にも色素班があるとのことで、
私にも片眼だけあります。眼球のほくろのようなものか、と認識していたんですがこれも太田母斑だと判明しスッキリしました。

レーザー治療ができる!

さらに太田母斑は、Qスイッチルビーレーザーでの治療が保険適用されていることが判明!

保険がきくなら治療しないと損でしょ!?
という損得勘定により治療を決意したのでした。

レーザー治療の料金やダウンタイム、病院については別記事で詳しく書いていきます。

そして今。
2度のレーザー治療を受けて、近所に出るときでも最低限コンシーラーを乗せていた太田母斑がほぼわからなくなり、スッピンで出かけられるようになりました。 (やってみたかった)
日焼け止めだけで出かけられる日が来るなんて、夢のようです。

1度目のレーザー治療経過を記録

1度目のレーザー治療経過について、当時アメブロで経過を記録しており、
それを改めてしづログでまとめることにしました!

残念なのは、治療前のすっぴん写真が無いこと…これは本当にすみません。前日に撮っておけばよかった。
それでも、参考になることは色々あると思うので体験を元に綴っていきますね。

もっと早く知りたかった!

しづログを始めたきっかけでもある、「もっと早く知りたかった!」と思ったことのひとつが、太田母斑のことでした。
もしインターネットが無かったら一生知らなかったし、治療をすることもなかったでしょう…。
私の体験談が、少しでも誰かの参考になれば幸いです。

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